「子供達の学生服姿が見たい…」母の最期の願い
卒業式の時期ですね。
SNSでも続々と、嬉しい成長の投稿があげられています。
皆様おめでとうございます。
子供達が未来に向かって健やかに伸びやかに進んで行けますように。
我が家はもう双子が22歳にもなり、私自身、母親現役も卒業して久しくはありますが、一生忘れないであろう卒業式と入学式があります。
保育園卒園と、小学校入学。
普通の保育園の卒園と、普通の公立の小学校の入学に、詰襟の学生服を着た子供って珍しいでしょ^^笑
もちろんこれは特別にリメイクした学ランです。
当時パソコンはもちろん、携帯電話すら持っていない時代でした。
「検索」という言葉さえ知らない頃ですから、タウンページで釧路の「仕立て直し」とか「洋服お直し」とか上から順番に電話をかけまくった記憶があります。
見事に断られまくり、ここに断られたら他にないという最後の一軒で「無理かも」という条件付きで引き受けてくださるリフォーム屋さんが見つかりました。
だって、私が着てもブカブカな大きい高校生の学ランを、120センチの子供用のサイズにするのですから無茶な話です。
なぜ無理を承知でお金をかけてまで学ランにこだわったかと言うと、
母が
「いっちこーきの詰襟姿が見たい・・・」
と、病床で言ったから。
母は、双子が中学生になるまで生きられないと分かっていたのでしょうね。
そして私達も・・・。
産婦人科と循環器内科の医者から、私と双子の三人の命は危ないと宣告されていたけれど、
何とか助けてもらって生きることができました。
長い入院生活から家に帰ると、父、母、妹は、私と双子を受け入れてくれました。
間もなくシングルマザーになってしまってからも、子供達に愛情を注ぎ協力してくれました。
お母さんの真似っこをするいっち。
せまい茶の間に、いつも家族全員集まっていました。
いっちこーきも、お母さんが大好きです。
贅沢なんかできなかったけれど、笑いの絶えない毎日でした。
そんな母が体調の異変を感じて、
『肺癌』の診断を受けたのが、いっちこーきが2歳のとき。
うちは、家族のだれ一人、タバコを吸う人はいません。
悔しかったです。
何故、うちのお母さんが肺癌なんかにならなければいけないの!?
不安と恐怖の5年間の闘病生活を送ることになります。
手術をして、一度は元気を取り戻し仕事にも復帰して経過観察をしていましたが、
4年目くらいからあちこちに転移し、脳のガンマ治療を札幌で受けたり、恐れていた骨への転移が見つかったり、一気に急変してきました。
思うように歩けなくなり、痛みと吐き気で寝てることが多くはなりましたが、
今までの古くて寒い家から、念願だった新居に引っ越したのが平成14年のお正月の年越しのとき。
双子はこの春、保育園を卒業する年でした。
母は何度も入退院を繰り返していたので、学生服の完成を急いでもらった記憶があります。
本当に無茶を言いました。
申し訳なかったと思います。
おかげさまで、母は子供達の学ラン姿を見ることができました。
やせ細り、トイレに立つのもままならないほど体力は衰えていましたので、卒園式には出席できませんでしたが、
いっちこーきはお母さんの前で元気に卒園のお歌を歌い、私が名前を呼ぶと「はい!!」と大きな声でお返事をし、
卒園式の再現を、家でしてくれました。
二人とも、幼心にお母さんのためにできることを一生懸命にしてくれたんですね。
そして小学校の入学式を終えてすぐ入院をし、
私と妹は12時間交代で母に付き添い、病院に寝泊まりをする生活を1ヶ月ほど続けたゴールデンウィークの最終日、
母は息を引き取りました。
母59歳、私28歳、いっちこーき7歳。
子供達に命の大切さを教えてくれた母です。
あれから15年。
中学、高校の卒業式や成人式など、節目節目を見たかっただろうな~と思いつつ、
きっと見守ってるんだろうな~とも思っています。
一風変わったちびっこの学ラン衣装も、
こんなエピソードがあったのでした☆^^v
そっくりでしょ^^笑
最新記事 by 斎藤 美紀 (全て見る)
- 斎藤政宗 8歳 肥満 やせれ - 2018年8月12日
- ブライダルから子供達まで♡素肌に直接描くボディジュエリー - 2018年8月9日
- 千歳で搭乗拒否か?タイで入国拒否か? - 2018年6月24日